「氷柱の声」
3.11震災被災者の話。
あー。もう震災から10年以上経つものね。被災時に少年少女で多感な時期を過ごした人たちも成人して、このような本が出るのも納得。
で。
ほぼほぼ筆者の体験談を織り込んだ物語なんだろうか。おそらくそう。
取材もして、震災被災者の生の声を取り入れて物語にまとめたもの。
テーマは「被災者のレッテルとどう向き合うか」。
被災者と一言で言っても、被害の程度には大きな開きがあって。
被害が少ないから申し訳なく思ってしまうとか。
「被災者」として社会が求めている像を演じなければならない、押しつけられた人生観とか。
それらに反抗して生きる人と、受け入れる人と。
主人公が何人かの被災者と話し、価値観を聞き、自分との相違を認識して「被災者のレッテル」を自分の中に落とし込んでいく話。
まあ、現実問題、当事者以外はニュースを消費するよね。
震災直後だったり年に一度の3.11当日なんかは、ニュースを見て「被災者」は可哀相と言い、寄付をしたりもする。
「被災者」に望んでいるのは強く生きていく姿だったり、白々しくも希望の言葉だったりであって、ひねくれた言葉なんか望んでない。悲劇の話を見聞きして心を痛めて泣くのを楽しんでいるとも言える。
そんな型にはまったレッテルを貼っておいて数ヶ月で忘れ去るのは、まさに「被災者の人生を消費している」という表現が合っている。消費が過ぎれば「被災者だからってちやほやされて……」みたいな心ない言葉が出たりもする。
でも、どーしようもない。当事者じゃないんだから。
この本でも、社会からレッテルを貼られていることについては書かれているけど、それが悪いとは書かれていない。そういうものです。
ただ、私は自分が幸いにも被災したことが無かったので、こういう建前と本音の溝については全く思いもしていなかった。
「被災者」のフィルターを通すと、努力が正当に評価されないことへの恨みとか。
社会からの期待によって、どう生きるかが決められてしまう息苦しさとか。
それに反発して出て行ったところで、上手く行かなかった時に「被災者としての道」が頭から離れなかったりとか。
そういうことは想像すらしていなかったので、小中学生向けの本かも知れないけれども、目からウロコが落ちた気がしました。
あとね
あーーー
これはーーーーロスチルーーーー!!!
って思ってしまったよね……
突然のニジソー話?
うん……
だって、本人には何の非も無く降ってきた不幸でしょ。
それによって人生めちゃくちゃにされて、「ロスチル」ってレッテル貼られて、普通の人のようには生きていけなくなったでしょ。
参考にすべき心情が書かれていると思ったんだよ。
中でも私が強く反応しちゃったところを書き留めておこう。
いつかネタの一助になるかもしれない。
ーーーーーーーーーーーーーー
おれは忘れたくない。いや、忘れてしまうことが怖い。
泣きながら自転車をこいで帰ってきた自分が撮ったたった1枚の写真、どうしてこの写真を撮ったのか忘れてしまったことに気がついて、忘れないようにいま、覚えている事を全部書いた。
忘れてしまったことはもう同じ温度で抱きしめることはできない。忘れたことに後から意味がついたとき、それがドラマチックになってしまうことが、おれは怖い。
--------
「忘れない」と何度も繰り返さないと、握った砂のように指の間から少しずつこぼれて忘れてしまうような焦りはよくわかる。
そして、その記憶を誰にも言えずに書き起こすしかなかったこと、その孤独がとてもよくわかる気がした。
--------
何かを失った人間しか、当事者しか起きたことを語る資格は無い、と思う気持ち。確かに何か言いたいことがあるのに、それを言葉にしてうまく手繰ることができないもどかしさ。綺麗事を言うなと叫ぶ行為そのものが、またひとつの綺麗事になってしまう途方の無さ。
いくつもいくつも糸が張り巡らされた場所で、どう歩けば良いのかわからない。
ーーーーーーーーーーーーーー
これね
被災した記憶をどうすれば良いのか、というところの話です。
確かにあった事実、等身大の自分が経験した事実が、時間の経過と共に風化され、物語のようにドラマチックに作り替えられて消費コンテンツになっていくのがいやだという事だと思う。
了尊だろ…… これをもとにアレンジすると萌えるでしょ……いや ごめん。
結局ね、この文章も、筆者が「被災者だから」重みを増しているっていう皮肉があるわけです。筆者はそれに気付いている。
被災者以外が全く同じ文章を書いたら、自分の境遇に浸りすぎじゃない?って言葉が出てくるでしょう。
それくらい、人の認知は、書いた人のバックグラウンドを見ている。
嫌いな人が書いた作品はどれもこれも気に入らないのと同じだね。(〆がそれかい)
#りょたけ
#読書
3.11震災被災者の話。
あー。もう震災から10年以上経つものね。被災時に少年少女で多感な時期を過ごした人たちも成人して、このような本が出るのも納得。
で。
ほぼほぼ筆者の体験談を織り込んだ物語なんだろうか。おそらくそう。
取材もして、震災被災者の生の声を取り入れて物語にまとめたもの。
テーマは「被災者のレッテルとどう向き合うか」。
被災者と一言で言っても、被害の程度には大きな開きがあって。
被害が少ないから申し訳なく思ってしまうとか。
「被災者」として社会が求めている像を演じなければならない、押しつけられた人生観とか。
それらに反抗して生きる人と、受け入れる人と。
主人公が何人かの被災者と話し、価値観を聞き、自分との相違を認識して「被災者のレッテル」を自分の中に落とし込んでいく話。
まあ、現実問題、当事者以外はニュースを消費するよね。
震災直後だったり年に一度の3.11当日なんかは、ニュースを見て「被災者」は可哀相と言い、寄付をしたりもする。
「被災者」に望んでいるのは強く生きていく姿だったり、白々しくも希望の言葉だったりであって、ひねくれた言葉なんか望んでない。悲劇の話を見聞きして心を痛めて泣くのを楽しんでいるとも言える。
そんな型にはまったレッテルを貼っておいて数ヶ月で忘れ去るのは、まさに「被災者の人生を消費している」という表現が合っている。消費が過ぎれば「被災者だからってちやほやされて……」みたいな心ない言葉が出たりもする。
でも、どーしようもない。当事者じゃないんだから。
この本でも、社会からレッテルを貼られていることについては書かれているけど、それが悪いとは書かれていない。そういうものです。
ただ、私は自分が幸いにも被災したことが無かったので、こういう建前と本音の溝については全く思いもしていなかった。
「被災者」のフィルターを通すと、努力が正当に評価されないことへの恨みとか。
社会からの期待によって、どう生きるかが決められてしまう息苦しさとか。
それに反発して出て行ったところで、上手く行かなかった時に「被災者としての道」が頭から離れなかったりとか。
そういうことは想像すらしていなかったので、小中学生向けの本かも知れないけれども、目からウロコが落ちた気がしました。
あとね
あーーー
これはーーーーロスチルーーーー!!!
って思ってしまったよね……
突然のニジソー話?
うん……
だって、本人には何の非も無く降ってきた不幸でしょ。
それによって人生めちゃくちゃにされて、「ロスチル」ってレッテル貼られて、普通の人のようには生きていけなくなったでしょ。
参考にすべき心情が書かれていると思ったんだよ。
中でも私が強く反応しちゃったところを書き留めておこう。
いつかネタの一助になるかもしれない。
ーーーーーーーーーーーーーー
おれは忘れたくない。いや、忘れてしまうことが怖い。
泣きながら自転車をこいで帰ってきた自分が撮ったたった1枚の写真、どうしてこの写真を撮ったのか忘れてしまったことに気がついて、忘れないようにいま、覚えている事を全部書いた。
忘れてしまったことはもう同じ温度で抱きしめることはできない。忘れたことに後から意味がついたとき、それがドラマチックになってしまうことが、おれは怖い。
--------
「忘れない」と何度も繰り返さないと、握った砂のように指の間から少しずつこぼれて忘れてしまうような焦りはよくわかる。
そして、その記憶を誰にも言えずに書き起こすしかなかったこと、その孤独がとてもよくわかる気がした。
--------
何かを失った人間しか、当事者しか起きたことを語る資格は無い、と思う気持ち。確かに何か言いたいことがあるのに、それを言葉にしてうまく手繰ることができないもどかしさ。綺麗事を言うなと叫ぶ行為そのものが、またひとつの綺麗事になってしまう途方の無さ。
いくつもいくつも糸が張り巡らされた場所で、どう歩けば良いのかわからない。
ーーーーーーーーーーーーーー
これね
被災した記憶をどうすれば良いのか、というところの話です。
確かにあった事実、等身大の自分が経験した事実が、時間の経過と共に風化され、物語のようにドラマチックに作り替えられて消費コンテンツになっていくのがいやだという事だと思う。
了尊だろ…… これをもとにアレンジすると萌えるでしょ……いや ごめん。
結局ね、この文章も、筆者が「被災者だから」重みを増しているっていう皮肉があるわけです。筆者はそれに気付いている。
被災者以外が全く同じ文章を書いたら、自分の境遇に浸りすぎじゃない?って言葉が出てくるでしょう。
それくらい、人の認知は、書いた人のバックグラウンドを見ている。
嫌いな人が書いた作品はどれもこれも気に入らないのと同じだね。(〆がそれかい)
#りょたけ
#読書
「おとぎのかけら」
西洋童話を題材にして、それを現代風にアレンジしたもの。
ヘンゼルとグレーテル、みにくいあひるの子、白雪姫、マッチ売りの少女、ハーメルンの笛吹き、眠り姫
……だったかな。
まあ童話でも結構悪役が死んだり主人公が死んだりするんですけど。
それを現代風にアレンジしたものだから、普通にそういう薄暗い感じになります。
虐待殺人、いじめ、嫉妬、売春、不倫、痴呆……がテーマに。
だいたい性的な要素が入ってくるのですすんで子供には見せられない。
読んでいて、なんでもかんでも性的にしすぎじゃない!?と思ったけど、でももともとの題材を考えると、こうならざるを得ないよなあ……と。
一番胸くそ悪かったのがハーメルンの笛吹きテーマ。集合恐怖症には耐えられないであろうおぞましい表現。
文章でここまでの嫌悪感を抱かせるのってすごい。
アングラネタばっかりなのでほぼほぼ登場人物に共感できないのだけど、眠り姫のテーマには唯一共感できる部分があったかな。
ただ待つために眠るということ。
来る事が確定している未来を待つ眠りには意義があるが、現実逃避の眠りと混同してはならないということ。
ヒキニートになると睡眠時間長くなるでしょう。
あれは完全に現実逃避、かつ体力が落ちていることに起因する後ろ向きの眠りだ。
#読書
西洋童話を題材にして、それを現代風にアレンジしたもの。
ヘンゼルとグレーテル、みにくいあひるの子、白雪姫、マッチ売りの少女、ハーメルンの笛吹き、眠り姫
……だったかな。
まあ童話でも結構悪役が死んだり主人公が死んだりするんですけど。
それを現代風にアレンジしたものだから、普通にそういう薄暗い感じになります。
虐待殺人、いじめ、嫉妬、売春、不倫、痴呆……がテーマに。
だいたい性的な要素が入ってくるのですすんで子供には見せられない。
読んでいて、なんでもかんでも性的にしすぎじゃない!?と思ったけど、でももともとの題材を考えると、こうならざるを得ないよなあ……と。
一番胸くそ悪かったのがハーメルンの笛吹きテーマ。集合恐怖症には耐えられないであろうおぞましい表現。
文章でここまでの嫌悪感を抱かせるのってすごい。
アングラネタばっかりなのでほぼほぼ登場人物に共感できないのだけど、眠り姫のテーマには唯一共感できる部分があったかな。
ただ待つために眠るということ。
来る事が確定している未来を待つ眠りには意義があるが、現実逃避の眠りと混同してはならないということ。
ヒキニートになると睡眠時間長くなるでしょう。
あれは完全に現実逃避、かつ体力が落ちていることに起因する後ろ向きの眠りだ。
#読書
「終点のあの子」
また女子高生のオムニバス。
こっちは神視点(一人称でない)書き方なので読みやすい。
「~背表紙」と似ていて女子高生のカーストやらマウントやらグループやら、そういうものに対する感情の揺れがテーマ。
ただこっちは「~背表紙」と違って「図書室」みたいなセーフエリアや神様のような先生がいない。狭い世界の中で一人で悩んで最終的には一人で判断する、そこらへんがかなりリアル。
固有名詞が多すぎて、東京圏・私立中高に通っていれば「あれのことね」とピンとくるけれども、縁のない地域や男子だったら読んでていて知らない単語が頻出するのではないか。
もともとそういう人らはターゲットにはなっていないのかもしれないけど、実際これは男子中学の入試問題で出ているという……。これを、男子小学生が読むのか。結構グロイ。女子高生に対する夢が壊れなきゃ良いが。
「感情の揺れ」「リアリティ」が評価されている作者だけあって、読んでいて自分の過去を生々しく思い出してしまうエピソードがてんこ盛りだった。
女子はグループを作ってその中のヒエラルキーに従って生きる。それでありながら野心は持っていて、冷静に地位向上の計算をしている。
思いがけず上位の女子から認められた時の選民感とか……
「他とは違う自分」を信じて周りのすべてを見下し、自分の挫折を受け止められなかったりとか……
「他人の目に自分がどう映るか」が最重要であり、自分の素直な感情や感想に蓋をしてしまうところとか……
あるなあ!!!あったなあ!!
全ては自分の価値をすべて他人にゆだねてしまっているところから来ている。他人からの評価は移ろいやすく自分が思うほど真摯では無いのに、がっつりそれに依存している。
本当はみんな自分のことしか考えていなくて、他人のことはどうでも良い、悪意すら持っているのに。他人から羨望はされたい、でも羨望が行き過ぎた悪意になると怖い。そんなギリギリラインをせめている。
大人になればそんなものより客観的に「給料」っていう評価が下されるので、割り切りやすくもなるが。女子中高生の社会ではそうはいかない。
女子高生時代の、精神的に未熟ゆえの輝き……とか、初々しい……みたいな感想をちらほら見ましたが。
いや、これ、今でもふつーーーーーーに、やってる層はやってるよ。
マンション・団地の主婦階層とか、SNS依存型の引きこもり層は今でもやってます。
肉体年齢関係ないです。
常にマウントの取り合い。女子高生時代は自身の材料だけだったのが、旦那、子供を材料に加えてるから余計にドロドロしている。
あの頃はよかったなあ~なんて感傷に浸ることは全くなかった、私は。
わが身を振り返っても似たようなことはあった。
女子高では確かに、化粧、彼氏、ブランドなどがステータスだったので。思い出したくも無いが、見栄を張って援助交際して退学処分になった子も居た。
私は「おしゃれ系」「運動系」以外のグループを転々と渡り歩いて、どこのグループにも所属しない感じで生きて、最終的には「勉強」グループになった。余計な争いや嫉妬や意地の張り合いを避けたかったので、努力が確実に数字となって帰ってくる場所に居たかった。
漫画アニメにはまり始めた時期だったので「オタク」グループに入りたかったけど、彼女らは勉強をしていなかったので、そっち系を職業にしたくない私はどっぷり入ることが怖く、また「オタク」差別も怖かったので、「漫画研究会」ではなく「美術部」に入った。
楽しかったし仲良くしてもらったけど、彼女らはいまどうしているだろうか……私は今でも趣味で同人してるけど、彼女らは続けているんだろうか。
「オタク」グループと言えば、この本でも差別をありありと感じた。
まず、オタク女子に対する描写がひどい。
他の女生徒の描写はあっさり描かれているのに、「おしゃれ」グループトップの女生徒との対比なのか、オタク女子の描写は
制服の着こなしが下手、地味(これは分かるが)
目が離れている、蟹股で歩く、太っている、指が太い(これはオタクとは関係なくない!?)
まったくひどい偏見。
しかもこの女子は根っからのオタクではなく実は文学少女であり、「もったいないよ。オタクだと思われちゃうよ」などと言ってもらえる。
ちょっと昔の小説らしいので、今ほどオタクが市民権を得ていないのがわかる。
作中のオタク女子が文学少女なんかではなく「AとBの関係が尊い、エロトラップダンジョンに入れたい、女体化めっちゃ萌える」みたいなことを口走っていたら、お話にならなかっただろう。
グループが異なる生徒同士でも少し心の交流ができる、というのは夢があるけれど、まあグループの性質を深く知ると許容範囲が違いすぎて合わないわな。ふつうは。
ただ、そういうささやかな、一時的な心の交流でも、大人になった時にふと思い出す。そして行動を改めたり自省したりする材料になり得る。
――というのが作者の言いたいことだとは思います。
いじめとかつらい経験に折れていなければ。
やぱりメンタルのタフさが何よりも大事。学生時代のいじめや嫌な事くらいでは折れないくらいのタフさを身につけさせねばならない、我が子には。
あとは、どんなに絵が好きで才能があるように見えても美大には行くな、行くならせめてデザイン科にしろ。
っていうのは強く感じました。小説の主題から逸れまくるけれども。
美大、噂に聞いて知ってはいたけど、成功するのは一握り。いくら絵を描くことが好きでも大衆に媚びなければ食っていけない。やっぱりそういう世界なんだなと。
SNSでは絵がうまい人がわんさか居て、良いなあ、素敵だなあ、あんな風に好きなキャラをかっこよくかわいく描けたら良いなあと思うことが多々あるけれど。それ一本で食っていこうと思うなら「好き」以外の努力と割り切りがだいぶ必要そうですね。
#読書
また女子高生のオムニバス。
こっちは神視点(一人称でない)書き方なので読みやすい。
「~背表紙」と似ていて女子高生のカーストやらマウントやらグループやら、そういうものに対する感情の揺れがテーマ。
ただこっちは「~背表紙」と違って「図書室」みたいなセーフエリアや神様のような先生がいない。狭い世界の中で一人で悩んで最終的には一人で判断する、そこらへんがかなりリアル。
固有名詞が多すぎて、東京圏・私立中高に通っていれば「あれのことね」とピンとくるけれども、縁のない地域や男子だったら読んでていて知らない単語が頻出するのではないか。
もともとそういう人らはターゲットにはなっていないのかもしれないけど、実際これは男子中学の入試問題で出ているという……。これを、男子小学生が読むのか。結構グロイ。女子高生に対する夢が壊れなきゃ良いが。
「感情の揺れ」「リアリティ」が評価されている作者だけあって、読んでいて自分の過去を生々しく思い出してしまうエピソードがてんこ盛りだった。
女子はグループを作ってその中のヒエラルキーに従って生きる。それでありながら野心は持っていて、冷静に地位向上の計算をしている。
思いがけず上位の女子から認められた時の選民感とか……
「他とは違う自分」を信じて周りのすべてを見下し、自分の挫折を受け止められなかったりとか……
「他人の目に自分がどう映るか」が最重要であり、自分の素直な感情や感想に蓋をしてしまうところとか……
あるなあ!!!あったなあ!!
全ては自分の価値をすべて他人にゆだねてしまっているところから来ている。他人からの評価は移ろいやすく自分が思うほど真摯では無いのに、がっつりそれに依存している。
本当はみんな自分のことしか考えていなくて、他人のことはどうでも良い、悪意すら持っているのに。他人から羨望はされたい、でも羨望が行き過ぎた悪意になると怖い。そんなギリギリラインをせめている。
大人になればそんなものより客観的に「給料」っていう評価が下されるので、割り切りやすくもなるが。女子中高生の社会ではそうはいかない。
女子高生時代の、精神的に未熟ゆえの輝き……とか、初々しい……みたいな感想をちらほら見ましたが。
いや、これ、今でもふつーーーーーーに、やってる層はやってるよ。
マンション・団地の主婦階層とか、SNS依存型の引きこもり層は今でもやってます。
肉体年齢関係ないです。
常にマウントの取り合い。女子高生時代は自身の材料だけだったのが、旦那、子供を材料に加えてるから余計にドロドロしている。
あの頃はよかったなあ~なんて感傷に浸ることは全くなかった、私は。
わが身を振り返っても似たようなことはあった。
女子高では確かに、化粧、彼氏、ブランドなどがステータスだったので。思い出したくも無いが、見栄を張って援助交際して退学処分になった子も居た。
私は「おしゃれ系」「運動系」以外のグループを転々と渡り歩いて、どこのグループにも所属しない感じで生きて、最終的には「勉強」グループになった。余計な争いや嫉妬や意地の張り合いを避けたかったので、努力が確実に数字となって帰ってくる場所に居たかった。
漫画アニメにはまり始めた時期だったので「オタク」グループに入りたかったけど、彼女らは勉強をしていなかったので、そっち系を職業にしたくない私はどっぷり入ることが怖く、また「オタク」差別も怖かったので、「漫画研究会」ではなく「美術部」に入った。
楽しかったし仲良くしてもらったけど、彼女らはいまどうしているだろうか……私は今でも趣味で同人してるけど、彼女らは続けているんだろうか。
「オタク」グループと言えば、この本でも差別をありありと感じた。
まず、オタク女子に対する描写がひどい。
他の女生徒の描写はあっさり描かれているのに、「おしゃれ」グループトップの女生徒との対比なのか、オタク女子の描写は
制服の着こなしが下手、地味(これは分かるが)
目が離れている、蟹股で歩く、太っている、指が太い(これはオタクとは関係なくない!?)
まったくひどい偏見。
しかもこの女子は根っからのオタクではなく実は文学少女であり、「もったいないよ。オタクだと思われちゃうよ」などと言ってもらえる。
ちょっと昔の小説らしいので、今ほどオタクが市民権を得ていないのがわかる。
作中のオタク女子が文学少女なんかではなく「AとBの関係が尊い、エロトラップダンジョンに入れたい、女体化めっちゃ萌える」みたいなことを口走っていたら、お話にならなかっただろう。
グループが異なる生徒同士でも少し心の交流ができる、というのは夢があるけれど、まあグループの性質を深く知ると許容範囲が違いすぎて合わないわな。ふつうは。
ただ、そういうささやかな、一時的な心の交流でも、大人になった時にふと思い出す。そして行動を改めたり自省したりする材料になり得る。
――というのが作者の言いたいことだとは思います。
いじめとかつらい経験に折れていなければ。
やぱりメンタルのタフさが何よりも大事。学生時代のいじめや嫌な事くらいでは折れないくらいのタフさを身につけさせねばならない、我が子には。
あとは、どんなに絵が好きで才能があるように見えても美大には行くな、行くならせめてデザイン科にしろ。
っていうのは強く感じました。小説の主題から逸れまくるけれども。
美大、噂に聞いて知ってはいたけど、成功するのは一握り。いくら絵を描くことが好きでも大衆に媚びなければ食っていけない。やっぱりそういう世界なんだなと。
SNSでは絵がうまい人がわんさか居て、良いなあ、素敵だなあ、あんな風に好きなキャラをかっこよくかわいく描けたら良いなあと思うことが多々あるけれど。それ一本で食っていこうと思うなら「好き」以外の努力と割り切りがだいぶ必要そうですね。
#読書
「教室に並んだ背表紙」
6人の女子中学生のオムニバス。共通点は「図書室」。
残念ながらちゃんと全部読めなかった……
けど、女性作者にしか書けないリアルな女子中学生の心情が見どころ。
特にいじめのドロドロ、陰湿さなんかが「ああー覚えがある」という感じ。己の記憶がよみがえってなんとも言えない気分になる。
リアルといえば、地の文が。
一人称なんだけど、「あたしは~」「そんなの~~じゃん!!」のように、女子中学生特有?のイキった地の文が多く、「アタシ女」が大嫌いな私にはちょっと辛かった。
物語文といえば一人称物語が多いんだろうか……。最近読んでいる中高生向けの物語文、ほぼほぼ一人称。
そして「夢女」が出てくるところが今風だなと思った。
二次元のキャラに恋をしてしまうという……いや、まあ、昔からあったんだろうけど、わざわざそういう存在が小説に書かれることって無かった気がして。
昔はそういうのを同好の士以外には気取られないようにしていたと思うんだよ。
オタクも認知度が上がって市民権を得たんだなあと別の方面から感心してしまった。
--------
「アゲイン」
こども食堂がテーマのほうのアゲイン。(漫才がテーマのほうの「アゲイン」もある)
「おいしくて泣くとき」が中学生向け、こっちが小学生向け。
小学生にはこっちのほうが共感できるだろうが、大人が読むものでは無いかなという感じ……
ただ、コロナ禍で飲食店がどんどん潰れていき、それによって仕事を失った人が大勢いるというのは事実だし。こども食堂の需要も高まったというニュースも見たし。
関係ない人にはずっと関係ないけど、いつ何時自分や隣の人がそういう立場になるかわからないので、こども食堂をはじめ貧困に対する取り組みについて、小学生のうちに知っておいた方が良いだろうと思う。
大人としては、なるべくそういう苦労を子供にさせないように、やるべきことを頑張ってやらせていただくという決意を新たにするのでした……
------------
「クレヨン王国の花ウサギ」
旅行中に子供に読んで聞かせていた。
自分が子供のころに大好きで、花ウサギ(耳がでかくて耳で空を飛ぶウサギ)の絵なんかをよく描いていたし、
徐々に池が干上がりじわじわと死に向かう魚の気持を思っておびえたりもしたのだけど。
ラストのほう、あんまり記憶にないなあ、ハッピーエンドなはずだが……?
と思っていたら、そもそもきちんとラストまで書かれていなかった。
当然のようにハッピーエンドになり、子供たちは生還し、価値観が変わり、環境保護の声も大きくなるんだろうなと予想されるが。
当然のことなので書く必要は無く、好きに想像してくださいということなんだろうか。
#読書
6人の女子中学生のオムニバス。共通点は「図書室」。
残念ながらちゃんと全部読めなかった……
けど、女性作者にしか書けないリアルな女子中学生の心情が見どころ。
特にいじめのドロドロ、陰湿さなんかが「ああー覚えがある」という感じ。己の記憶がよみがえってなんとも言えない気分になる。
リアルといえば、地の文が。
一人称なんだけど、「あたしは~」「そんなの~~じゃん!!」のように、女子中学生特有?のイキった地の文が多く、「アタシ女」が大嫌いな私にはちょっと辛かった。
物語文といえば一人称物語が多いんだろうか……。最近読んでいる中高生向けの物語文、ほぼほぼ一人称。
そして「夢女」が出てくるところが今風だなと思った。
二次元のキャラに恋をしてしまうという……いや、まあ、昔からあったんだろうけど、わざわざそういう存在が小説に書かれることって無かった気がして。
昔はそういうのを同好の士以外には気取られないようにしていたと思うんだよ。
オタクも認知度が上がって市民権を得たんだなあと別の方面から感心してしまった。
--------
「アゲイン」
こども食堂がテーマのほうのアゲイン。(漫才がテーマのほうの「アゲイン」もある)
「おいしくて泣くとき」が中学生向け、こっちが小学生向け。
小学生にはこっちのほうが共感できるだろうが、大人が読むものでは無いかなという感じ……
ただ、コロナ禍で飲食店がどんどん潰れていき、それによって仕事を失った人が大勢いるというのは事実だし。こども食堂の需要も高まったというニュースも見たし。
関係ない人にはずっと関係ないけど、いつ何時自分や隣の人がそういう立場になるかわからないので、こども食堂をはじめ貧困に対する取り組みについて、小学生のうちに知っておいた方が良いだろうと思う。
大人としては、なるべくそういう苦労を子供にさせないように、やるべきことを頑張ってやらせていただくという決意を新たにするのでした……
------------
「クレヨン王国の花ウサギ」
旅行中に子供に読んで聞かせていた。
自分が子供のころに大好きで、花ウサギ(耳がでかくて耳で空を飛ぶウサギ)の絵なんかをよく描いていたし、
徐々に池が干上がりじわじわと死に向かう魚の気持を思っておびえたりもしたのだけど。
ラストのほう、あんまり記憶にないなあ、ハッピーエンドなはずだが……?
と思っていたら、そもそもきちんとラストまで書かれていなかった。
当然のようにハッピーエンドになり、子供たちは生還し、価値観が変わり、環境保護の声も大きくなるんだろうなと予想されるが。
当然のことなので書く必要は無く、好きに想像してくださいということなんだろうか。
#読書
「おいしくて泣くとき」
ちょっと、わけあっていろいろ本を読まねばならないので、せっかくなのでいくつかピックアップして感想文を残そうと思う
最初から卑怯だった!!
幼い息子、それを残して死に瀕した末期がんの母親
そんなん見せられたら、その息子のその後を、母親目線で読んでしまうでしょ!!
3回ほど泣きました。
まあ「ちょっと無理がある」と思ったり違和感を覚えた点もありますが
庭に桜を植えたり(虫がつきやすいので喫茶店の庭には不向きでは)
ダンプカーの運転手が無免許だったり(ちょっとー!雇い主ー!?)
旦那なのに「マスター」呼びを貫いていたり
でも全てが最後の驚きに繋がるためだと思えば。読了後は清々しい。
個人的な好みとして、
いやいやあの不良少年のその後がどうなったのかも教えてくださいよ!
とは思いましたけど……
まあ彼は主人公じゃ無いもんな……
やはり物語は主人公のために存在するのだ。
カフェの奥さんが高齢出産で流産して子を作れなくなったくだりは、必要だろうか?というのもちょっと気になりました。
ヒロインの娘が、以前の主人公に似た好青年とくっつこうとしている匂わせがある以上、主人公に子供が居てはいけなかったんだろうか。
私は完全に主人公の母親目線で読んでいたので、きっと桜の木は孫の顔を見たかっただろうなと思って、ちょっと寂しさを感じました。
子を望んで作れなかった女性の気持ちは、きれい事では済まされないくらいの無念と絶望だと思いますよ……10年ちょっとで吹っ切れるかな。主人公も家業を継いだのなら結婚も早かっただろうし、早くから不妊治療するべきでしたよ。
こういうところが、やはり「男性が書いた女性」という気がしてます。
良い意味でも別の意味でも「男性がこうあってほしい」と想像する女性。儚くて優しくて性格が良い。
女生徒どうしの虐めもアッサリしていて、あの特有の村社会みたいな粘度が無い。
物語として娯楽で読む分には、私はこういう作品のほうが断然好きです。漫画も少年マガジンのヒロインが好きだし。
次に読む本は、心が汚い女性が出てくるなー、きっついなーと思っていたらやはり女性作家でした。読むのつらい……
そんな発見。
本当は、原稿を、やりたいんですけどね。
#読書
ちょっと、わけあっていろいろ本を読まねばならないので、せっかくなのでいくつかピックアップして感想文を残そうと思う
最初から卑怯だった!!
幼い息子、それを残して死に瀕した末期がんの母親
そんなん見せられたら、その息子のその後を、母親目線で読んでしまうでしょ!!
3回ほど泣きました。
まあ「ちょっと無理がある」と思ったり違和感を覚えた点もありますが
庭に桜を植えたり(虫がつきやすいので喫茶店の庭には不向きでは)
ダンプカーの運転手が無免許だったり(ちょっとー!雇い主ー!?)
旦那なのに「マスター」呼びを貫いていたり
でも全てが最後の驚きに繋がるためだと思えば。読了後は清々しい。
個人的な好みとして、
いやいやあの不良少年のその後がどうなったのかも教えてくださいよ!
とは思いましたけど……
まあ彼は主人公じゃ無いもんな……
やはり物語は主人公のために存在するのだ。
カフェの奥さんが高齢出産で流産して子を作れなくなったくだりは、必要だろうか?というのもちょっと気になりました。
ヒロインの娘が、以前の主人公に似た好青年とくっつこうとしている匂わせがある以上、主人公に子供が居てはいけなかったんだろうか。
私は完全に主人公の母親目線で読んでいたので、きっと桜の木は孫の顔を見たかっただろうなと思って、ちょっと寂しさを感じました。
子を望んで作れなかった女性の気持ちは、きれい事では済まされないくらいの無念と絶望だと思いますよ……10年ちょっとで吹っ切れるかな。主人公も家業を継いだのなら結婚も早かっただろうし、早くから不妊治療するべきでしたよ。
こういうところが、やはり「男性が書いた女性」という気がしてます。
良い意味でも別の意味でも「男性がこうあってほしい」と想像する女性。儚くて優しくて性格が良い。
女生徒どうしの虐めもアッサリしていて、あの特有の村社会みたいな粘度が無い。
物語として娯楽で読む分には、私はこういう作品のほうが断然好きです。漫画も少年マガジンのヒロインが好きだし。
次に読む本は、心が汚い女性が出てくるなー、きっついなーと思っていたらやはり女性作家でした。読むのつらい……
そんな発見。
本当は、原稿を、やりたいんですけどね。
#読書
読書っつーか漫画じゃん!!!
……まあ良いではないか。
全部読みました。
Twitterに感想投げても良いんだけど、せっかくなのでこっちに残しておこうかなと。
もともと、TwitterのTLでフォロワさんが激推ししていて。
「こんなオメガバース見たことない」
とね。
それでちょっとどんなもんか気になって読み始めたら、まあ先が気になって気になって止まらなくて、最後まで読みました。
タイトル通り「オメガバース」が題材になってます。
「こんなの見たこと無い」と言われる所以は、オメガバース設定が、ただBLエロをやりやすくするためだけの舞台ではないということ。
オメガバースの世界をレディースコミックが得意なベテランの漫画家が本気で考察し、構築し、それを舞台にした昼ドラサスペンス漫画……おそらくそんな感じ。
まあ私もそこまでオメガバース作品に詳しいわけではないので
だいたい、攻めがアルファで。受けがオメガで。
オメガがイヤよイヤよ言ってても、アルファが受けに手を出したくないと思っていても、発情期が来ちゃって本能に逆らえずがっつりやっちゃう。
みたいなやつしか知らないんです。
一次作品、商業BLなら良いけど二次創作でやられると攻め受けともに尊厳破壊を感じるので、程度によるけれど、正直なところ私はあまり好きでは無かったです。特性をねじ曲げられたキャラが可哀相で。
重要なのはアルファ、オメガの男だけ。ベータ=モブであり、アルファ女やベータ女、オメガ女なんか存在しない。もう、男女要らなくない?アルファ、オメガだけで良いんじゃない?と思ったことも多々あります。
でもこの漫画ではがっつり「女」性について扱ってます。
アルファ女がどういうものか、ベータ女は、オメガ女は。
BLだけじゃないぞ、ちゃんと女性についても描くぞという作者の拘りと意気込みを感じる。
たぶん日本の戦前の状況がモデルになってると思うんですけど、オメガ性はまんま戦前の「女性」に相当していて、社会的には財産権無く、参政権無く、有能でも認められず……みたいな。
そのせいで、「アルファをしのぐほど有能なベータやオメガ」が3~5人も出てきてしまうので、これはアルファが有能種でオメガが劣等種だという大前提が覆っているのでは?と思う事もあるけれども。
後半から「アルファ至上主義とする政府、世論」が敵となっているせいで、人間関係のどろどろ愛憎劇は無くなって、全員で協力して支え合っていたので微笑ましかったです。
BL要素は後半にちょっとあったけれども。
男女カプもあるし、女女カプもあるし。
主人公以外の登場人物がけっこうキャラが立っていて面白かったです。
私のイチオシは、「アルファ男(おかまちゃん)×ベータ女(男勝り)with オメガ女」です。読めばわかる。読者のうち1/3はこのカプを応援してたんじゃないかな。
そんなこんなで、オメガバース作品ではあるけれども、(ツッコミどころはありつつも)しっかり考察された世界だし、何よりストーリー展開が早くて飽きさせないので楽しめました。
オメガバースが好きという人よりも、オメガバースなんかエロの道具でしょって忌避している人、直接的なエロよりも雰囲気エロが好きな人がおすすめ。
逆に、オメガバースならガッツンガッツンとエロをするべき!!けだもののようにするべき!!本能を曝け出せ!!という人には勧めません。
#読書